9月12日 (火)
東京大学だい!

 
 

 



東京大学、赤門登場。

加賀・前田家の上屋敷があった場所が東京大学の敷地になっています。
資料には正式名が「加賀守御門御殿」としてあります。
文政10年建設、今は国の重要文化財なんですね。

当然、設計者も施工会社も分かりません。
だいたい近代建築に入れられませんよね。
あとで気がついたのですが、伊東忠太の造った正門を写真に撮ってきませんでした。
失敗!
ま、いいか。
重みのある門ということで、ここから入って行きましょう。

 

教育学部


東京大学といえば、
日本で最初に建築学科ができたのもここ。
もとは、工部大学校造形学科といい、
その最初の卒業生から辰野金吾やら片山東熊ら、
日本の近代建築の第一人者が生まれたのです。

明治19年に工部大を吸収したときに辰野金吾が設計した校舎は、
関東大震災で被災したということで、
今現存するこれら一連の近代建築は、
内田祥三の設計に依るモノだそうです。

様式としては、ネオ・ゴシック。

安田講堂。

1925年。
設計:内田祥三、岸田日出刀
施工:清水組

国登録文化財。


   
 

窓や柱の連動が、心地いいデザインです。
微妙にそれぞれの学部のデザインは違うものの、
本館と入り口の2段構えのファサードというお決まりになっています。

この2段構えでは、
入り口部分だけがクラシックです。
私は内田祥三さんの作品をほとんど知りませんから
見たままの感想を述べますと、
時代的に新しさを出したいけれど、
東京大学という最高学部の重厚さはこの入り口部分で
表現しておこうか、みたいな感じを受けました。

イギリスの古い大学を歩いているような
とても心が落ち着くデザインです。

日本中の大学を見ていませんので、
うかつなことは言えませんが、
それでも近代建築と現代のビルがミックスされている風景が多い中、
ここ東京大学は、
すべて同じデザインのもと、
ほぼ同じ景色が組織されています。

例えば工学部のたてものを越えて振り返ってみても、
法学部の景色と違和感がない。
この村の中は、同じ空気を共有している、
そんな感じです。

近寄ってみますと、
それでも丁寧な造りはここかしこにうかがえます。

イオニア式オーダーも
その彫刻は美しい曲線でした。

鉄の扉もそのままですね。
どうぞ、いつまでもそのままでいてください。
(って、誰に言っているんだか・・・)

さて、
ここで特筆したいのは、
こうした時間が止まってしまったような村に、
必ずある古い大木が、
果たしてここにもありました。

安田講堂の前に堂々と立つケヤキの木です。

その枝ぶりにほれぼれして、
しばし眺めていました。
ここまでに育てるのに、どれほど植木職人はがんばったのでしょう。

地面すれすれで上向きに伸びている枝は、
支え棒も要さず、
しっかりとしていました。

この木の下で集える幸せを感じるのは、
今の学生さんがずっと年をとってからでしょうね。

 

これは、電気配線室かなんかの壁なんですが、
スクラッチタイルに苔むした感じが何とも言えず、
思わずパチリ。

これを汚いなんて言って、
きれいにそうじしないでください。
(誰に言っているんだか・・・)

教育学部の建物入り口に
赤いゼラニウムが。

絵になります。

同じく教育学部前。
サフィニアのポットが玄関前を飾っていました。

古い建物にぴったりです。
イギリスの街並みを思い出しました。

おんや?
これはだ〜れ?

よく見ると、
Josiah Conderと
縦書きに彫ってあるではありませんか!

これは、まぎれもなく
ジョサイア・コンドル先生の碑ですね。
となりに建つ旧岩崎邸、北区の旧古川邸などを設計した
お抱え外国人建築家で、

辰野金吾などの恩師でもあります。

この碑の解説を持っていませんので、何も書けませんが、
それにしても、足下でにらみ合う男女の形相は
ハッキリ言って怖いです。
コンドル先生、その方面でずいぶん苦労なさったのでしょうか。

「東京だよ、おっかさん」ツアーだったので、
すぐへたばった母を連れて
もっと奥まで見たいとは言えませんでした。
一日かけてゆっくりと見たかったですね。

でも何度も言いますが、
新しい建物もありますが、
この敷地の中は時間の止まった村のように、
統一のとれた建物群を楽しむことができます。

ほじくるように見ていけば、
きっとたのしいシーンに出逢えることでしょう。
関西の人も、一度東京大学巡りをされることをお勧めします。

 

次回は高輪あたりをフラフラと廻ります。