2月3日(木)
三栖閘門について。

 

五条の橋のたもとでお弁当を食べたあと、
「建築史探偵団・京都コース」午後の部のため、伏見に向かいました。

さて、三栖閘門をご存じですか?
私は知りませんでした。
私のような人のために簡単に説明しますね。

川とは支流が本流に流れ込み、どんどん大きくなっていきます。
ここ伏見の町を通る濠川(ごうかわ)が宇治川に流れ込み、
宇治川が木津川とともに淀川に合流し、
大阪湾へと続いていることが、この地図でおわかりでしょう。

つまり、この三栖閘門は、
伏見港と宇治川を結ぶ施設なのです。

資料館内の模型です。
水位の違う濠川と宇治川を調節するために、
このようなゲートを2カ所作りました。
それが、閘門です。
世界的にはスエズ運河が有名ですね。
イギリスでもテムズ川の上流では、このシステムによって
船が高低差を克服しながら長い旅を続けています。

こちらは本物。
昭和4年建設。りっぱな近代建築です。

淀川は、明治時代から外国人技師を呼んで、
近代的治水工事を行ってきました。
オランダ人、ヨハネス・デ・レーケ指導のもと、
低水路 を安定させ、支流の航路を確保する工事がおこなわれました。

今でこそ、電車や自動車の発達で、
交通路としての役割は果たしていませんが、
大阪と伏見をつなぐ水路が充実していたからこそ、
お米や伏見のお酒
が流通でき、伏見が栄えたのです。
これもまた、歴史的意義と、地域との関わりを考える上で、
貴重な建物と言えます。

この赤い鉄のゲートを動かすには、、
相当のおもりで持ち上げなければ なりません。
このように、
この建物の中では、おもりが上下しているのです。

二つのゲートの間。
今は、30石船の船着き場になっています。
(800円という文字が見えましたが、片道か往復か分かりません。)

こうやって、ちゃんと歴史的構築物を保存し、
観光に活用しているのです。
地元に住んでいながら知りませんでした。


2本の塔のうち一方は、
このようにてっぺんまで登れる展望台になっています。
高所恐怖症の私には、ありがた迷惑なサービスですが、
皆さん、楽しそうに見学されていました。

私は、へっぴり腰で螺旋階段をやっとこさ登りましたが、
ダメです、とても気分が悪くなり、
皆さんに気がつかれぬように、さっさと降りました。

屋根の形状は、「マンサード屋根」と呼びます。
幾何学模様がシンプルですが、
このように本来はただのゲート開閉のための機械塔に
細やかなデザイン処理をする、というのが近代建築たるところなのです。

高いところ、ダメですが、
眺めはきれいでした。
こちらは太陽に照らされてキラキラ輝く宇治川とススキの河原。

田舎なんだけど、
郷土愛感じます。
閘門よこにある操作室、
今は三栖閘門資料館として改装されました。
観光客にとってのいい案内所になっています。
外観は新しく感じますが、
内部は昭和初期の洋室のまま。

改装される前の操作室。
このままの方が、味わいがあっていいのになあ・・・。

 

「建築史探偵団」で歩かなければ、ずっと知らないままの三栖閘門。
グループ行動は好きじゃないの・・・
そんな風に偉そうに言っていたことなど忘れてね。
この「建築史探偵団」に参加するようになって、とても謙虚になりました。

引き続き、伏見の町を歩きます。

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